若者が現時点の社会に反抗することは珍しくない。特に、大した知性の持ち主でもないのに自分をエリートと考え、エリートであるはずの自分がエリートに相応しくない地位に置かれていると考えている者は、自らの知性の低さには目もくれず、責任を社会に押し付け、社会への反抗を見せる。そうした者は若者とは限らないが、様々な世代の中でも若者が特に強く社会への反抗を見せるのは、単に社会にまだ出ていないからである。社会に出て社会の仕組みを実感した者は、社会を変えるのではなく自分を変えたほうが自らの社会的地位を高めるのだと気づく。社会運動に身を投じるのはそれに気付かない者である。それは違いではない。優劣である。
社会運動に身を投じるほどに落ちぶれてしまった者は、その行動理由として、現在の社会のありように疑問を感じるとか、社会がおかしいとか感じるというのもあるが、そんなものはどうでもいい言い訳でしかない。唯一の理由は、反抗そのものである。自己陶酔のためだけの反抗が先にあり、反抗のための題目は後になって登場する。そして、題目を考え出せない者は、批判をする。批判をすればとりあえず反抗にはなる。反抗している自分に酔いしれることができる。そこにあるのは反抗そのものであって、社会
卓悅冒牌貨 を良くしようとか、人々の暮らしを良くしようとか、そのような概念は全くない。あるのは反抗する自分を自分で賞賛するみっともない自己陶酔だけである。しかも、その反抗を若者の証とすることで、相手の時代遅れを、そして老いを、嘲笑うことができる。
このような者はいつの時代にもどのような社会にもいる。それも、絶対に変えることのできない現実を伴って。
その現実とは、加齢。
私の隣にイスラム教徒が引越ししてきたら困惑するでしょう。スーパーのレジで移民の人たちが根切り交渉をワイワイやっていたら店を出ます。女性というだけで昇給したり昇進したりするような会社もがっかりです。その上に自分の収入がどんどん減っていったらいい加減にしてほしいと怒りを感じると思います。だから今回トランプ氏を支持した中低所得者層の白人男性たちのことを一方的に責めることはできません。
トランプ氏は実業家として正しいことをしました。お金儲けと同じような要領です。まず、お客の不満を的確に捉え、トランプ氏
卓悅冒牌貨 という商品を買うことで解決につながると訴え、最後に(商品とはあまり関係のない)ハッピーな夢を語る、まさにテレビショッピングのノリで戦い抜いたのです。暴言は人々の願望を具体化したものだったのです。